2018年10月05日
某通信社からコメントを求められ、答え、失望した話

2018年9月半ば、
翁長知事急逝により、あわただしくもゆっくりと着実に沖縄県民の未来が決まろうとしている。
選挙期間中、僕は普段言及しない政治的発言をTwitter限定で戸惑いながらも積極的に発信してきた。
反戦、平和、ユイマール、振興、国境、狭間、防衛、貧困
一言では言い表せない沖縄の現状は片方に寄ってしまった方がいっそ楽になる。
まっさらに、限りなくまっさらに。
あえて全てを否定し、拒絶することからはじめなければなにも変わらない。それだけこの国は成熟してしまったことを僕は知っている。
そんな折、某通信社から県知事選についてのコメント依頼がきた。
その通信社は現地現場の声を吸い上げ偽りなく発信する姿勢を貫き現在に至る。その社風に感銘を受け依頼を快く受け入れた。
なのに、それなのに、
僕のコメントは見事に脚色され彼のシナリオ通りの歯車と化した。
彼の質問に対し僕は、出来るだけ冷静に、客観的に答えたつもりである。
しかし、それが県民の総意であるような、あたかも個人的発言であるようなニュアンスで一部分だけを抜粋され掲載されていた。
メディア不審は今にはじまったことではないが、実際、自分自身で体感実感してしまうとやはりそうなのかと、落胆具合がハンパない。今回僕の発言が世界に発言されてると思うと情けなく悔しい。
「アイデンティティー」と言う言葉がこれほど安っぽく、軽く感じたことはなかった。そんな県知事選挙であった。
人の想いを前後切り離す。
頭としっぽはどこに行ったのか。
残った胴体は「今」をみているようで全てを見失う。
淡い期待の中、僕は今日もタコスを作ってる。この沖縄で。
Posted by エスパー at 01:27│Comments(0)
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